日本三大山城のひとつで、本丸は日本で最も高い標高717mに位置しました。
築城は、1185年源頼朝の重臣であった加藤景廉の長男、加藤景朝(遠山に改名)によるもので、明治時代に廃城令が発布されるまで、約800年の長期にわたり存在した他に類を見ない城です。
この地は、尾張・美濃・信濃に通じる要衝であるため、様々な戦いの場となり、城主も幾度となく替わりました。1571年、信長の5男御坊丸が家督を相続するも幼すぎるため、実際には織田信長の叔母「おつやの方」が女城主として、一帯を治めていた話は有名です。
総延長1.7kmにも及ぶ石垣が現存しており、野面積み、切り込みハギ、打込み切り込みハギの三積類の積み方が一度に見られるのは大変珍しく、また、本丸虎口の「六段壁」は必見の迫力です。
別称:霧ヶ城