1546年頃に建立された一向一揆の拠点でもあった寺院の金沢御堂を、1580年に柴田勝家が攻略し、織田信長の命によって佐久間盛政が初めての金沢城主となり城郭整備に着手。
有名な「賤ケ岳の戦い」の後は前田利家が入城し1869年(明治2年)まで約290年間にわたり加賀藩前田家14代の居城として繁栄しました。
天守閣は1602年に落雷により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されていません(代わりに御三階櫓を建造)。江戸時代には度重なる大火に見舞われますが、焼失を免れた「石川門」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」は後に国の重要文化財に指定されています。
1996年頃から金沢城址公園として整備が始まり、現在も復元工事が進められ、城内最大規模の木橋「鼠多門橋」、「鼠多門」は2020年に復興された建物の一つで、黒い海鼠漆喰が特徴的です。
また、金沢城には多種多様の石垣が存在し、何度も修築が繰り返されたことから様々な種類の石や技巧を見ることができます。
別称:尾山城、尾上城