1619年に徳川秀忠が大坂夏の陣の後、西国諸藩を抑えるために築城を命じたのは、曽祖父に織田信長と徳川家康を持つ小笠原忠政(のちの忠真)でした。
約152坪の広い天守台に天守はなく、本丸の四隅に三重櫓が置かれましたが、巽櫓と坤櫓は日本で12基しか現存していない三重櫓のうちの2基で、いづれも国の重要文化財に指定されています。
現在の城跡は明石城を中心に明石公園がつくられ、野球場やテニスコートなどの運動施設、明石の街づくりや整備に関わった剣豪・宮本武蔵がかつて作庭した大名庭園が復元しています。
明石城の石垣は高さ20m、幅約380mにおよび、JR明石駅のホームに立つと、高石垣の両隅に三重櫓が乗った光景が現れ、その存在感と遮るものがない広大な眺望は迫力があります。
別称:喜春城