1609年に加賀前田二代当主・前田利長が、広大な沼沢地の中に浮かぶ高岡台地に築城と城下の整備を開始し、同年9月に未完のまま入城。
突貫工事で進められた城でありながらも強固な地盤造成で、本丸から二の丸、鍛冶丸など7つの郭(城内の区画)を土橋で繋げる「連続馬出」が非常に高い防御力を誇っています。
また、郭や土塁、水堀もほぼ全てが現存する貴重で珍しい城跡です。
前田利長が死去した翌年の1615年には、鉄壁な設計の城も一国一城令によって一度の実戦もなく廃城となりましたが、三代当主の前田利常は城跡の土塁や水堀などを壊さずに保持しました。
現在は高岡古城公園として開放され、400年以上の時を経た石垣や水堀など随所で当時の面影を感じることができます。