第35回 佐倉城 <千葉県>

本丸跡

<ひよどり坂> 大手門からこの坂を抜けると武家屋敷

20 佐倉城<千葉県>

戦国時代中頃の天文(1532~1555)に鹿島幹胤が千葉親胤に命じられて築城を開始。その後、親胤が暗殺されたため中断しましたが、1610年に徳川家康の命を受けた土井利勝により築城が再開し、実に7年の歳月をかけて完成しました。

印旛沼や鹿島川・高崎川、馬の背と呼ばれる台地などを巧みに利用し、水堀や空堀、土塁を築いて守りが固められており、難攻不落の城としても語り継がれています。

また、江戸城の東側を守る役目がある重要な城のため将軍の緊急避難の城と定められ、老中など江戸幕府の要職に就いた者が多く城主となりました。

明治時代の廃城令後は城門や櫓、武家屋敷などは取り壊されて、陸軍の施設として終戦まで使われ、現在は佐倉城址公園として整備が進み、医薬門や強固な守りの空堀や角馬出し、土塁などの遺構を見ることができます。

 

別称:鹿島城

千葉県佐倉市城内町官有無番地

土堀