第10回 長篠城 <愛知県>

本丸跡の碑と、左奥は、 織田・徳川連合軍と武田軍戦没者の供養塔

土塁からの本丸

46 長篠城<愛知県>

1508年に今川氏親の武将の菅沼元成が築城した、豊川と宇連川の合流点の断崖上に位置する天然の要害の城。三河国の東端に位置する長篠城は交通の上でも要衝なため、徳川氏から武田氏、そして再度徳川氏と支配権が度々交代しました。

1575年、武田勝頼率いる武田軍が約1万5千の大軍で城を包囲されると、対する長篠城の兵はわずか500という勢力で籠城戦に持ち込みます。絶体絶命の状況下、援軍要請のため、岡崎城の織田・家康軍の元へ城を抜け出して片道65kmの夜道を走り、帰路あと一歩のところで武田軍に捕らえられるも「援軍は来る。あと2、3日の辛抱。」と城に向かって叫び、城兵を鼓舞したのが「逆磔之図」で有名な鳥居強右衛門です。この朗報で士気が高まり、3万8千の織田・徳川連合軍が到着まで城を守り切ることが出来たと伝えられています(長篠城の戦)。

長篠城の戦で城の損傷も激しく、翌年に新城城へ移転したことにより、長篠城は廃城になりました。現在、かつての本丸跡地はJR飯田線が分断し、その北側に石垣、内堀、土塁などの遺構が残されており、城跡の一部は国史跡となっています。

別称:末広城、扇城

 愛知県新城市長篠字市場22-1

当時は水堀だった内堀