第14回 高遠城 <長野県>

太鼓を鳴らして時を告げる、太鼓櫓

大手門

30 高遠城<長野県>

三峰川と藤沢川の合流地点の高台にあり、背面に三峰川の断面を利用した本丸を、二の丸と三の丸が半円状に囲む、天然の要塞。

古くから諏訪氏の氏族、高遠氏が治めていましたが、諏訪から伊那へ抜ける交通の要所であり、駿河などへ進出する重要な地点であることから、1547年武田信玄に侵略され、改築されます。改築には山本勘助が関わり、その名に由来する勘助曲輪は現在も駐車場として存在しています。

1582年、高遠城は織田信忠軍に落城されますが、武田方として最後まで奮戦した仁科五郎盛信(武田信玄の五男)の勇姿は後世まで語り継がれ、長野県の県歌「信濃の国」の歌詞にも登場しています。

1871年に廃藩置県により城は取り壊されますが、後に公園となった際、高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場(馬の姿が桜の花に埋もれて隠れた)」からタカトオコヒガンザクラを移植し、この「天下第一の桜」が約1500本咲く現在の高遠城址公園は、「日本三大桜名所」にも選ばれ、4月の高遠さくら祭りの時期には、多くの人で賑わいます。

別称:兜山城

長野県伊那市高遠町東高遠城跡

本丸空堀にかかる、桜雲橋と問屋門