1554年佐久地方を制圧した武田信玄は、鍋蓋城・乙女坂城を千曲川の断崖などの地形を利用して新たに城郭を拡張整備を行った。その後、織田家、徳川家と支配が移り、1590年豊臣秀吉が天下統一を果たすと、仙石秀久が五万石で入城し、大改修や城下町の整備を経て現在の姿となりました。
城は城下町より低い場所に築かれた日本唯一といわれる「穴城」です。
大手門は城下町の位置にあり、本丸4つ目の門「四之門」として敵の侵入を妨げる役割を担い、当時瓦葺の屋根(三河国から調達)が珍しいため「瓦門」とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
現在は「小諸城址懐古園」として、動物園、郷土博物館などが併設された緑豊かな公園として整備され、さくらや紅葉の名所としても有名です。
別称:白鶴城・酔月城