甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信との間に起きた「川中島の戦い」の際に、武田氏最前線の拠点となり、北西側を流れる千曲川を自然の要害として造られた平城。当時は「海津城」と呼ばれました。
武田氏滅亡後(1582年)、織田・上杉・豊臣・徳川各氏の家臣たちが城主を務め、江戸時代(1622年)には真田信之が入城して明治維新まで真田氏十代の居城となりました。
「松代城」という名称は幕府の命により三代藩主の幸道が改称したものです。
明治になると(1872年)廃城となり石垣を残すのみとなっていましたが、櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などが修理・復元され、2004年には江戸時代の姿に限りなく近い状態になっています。
別称:海津城・貝津城