伊達政宗の長男秀宗の入城から9代に渡って居城とした城で、現存12天守の一つ。
1666年に宇和島伊達家2代藩主の伊達宗利が建築した三重三階層塔型天守で、かつてそこには、1601年に藤堂高虎が前身にあたる板島丸串城を改築した三重三階の望楼型天守が存在しました。
藤堂高虎が設計した外堀は、二辺が海に面し、三辺は海水を引き入れた不当辺五角形ですが、幕府の隠密が四角形と見誤る程の巧みな出来栄えで、後に「空角の経始(あきかくのなわ)」と語られ、現在は埋め立てられています。
同じ面で時代の違う2つの積み方を見ることのできる石垣や、装飾性の高い屋根、上り立ち門など、身近で開放的でありながら見どころが豊富な名城です。
別称:鶴島城