武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として、浅野長政・幸長父子らにより一条小山に築城。
江戸時代に入ると、徳川義直(家康九男)や徳川綱豊(のちの家宣)など徳川家の子息たちが城主を務め、綱豊が綱吉の後継者となって第6代将軍になると綱吉の側用人の柳沢吉保が初めて親藩以外の城主となり、御殿の新築や拡張、城下町も整備され大きく発展しました。
明治時代には廃城令により解体されますが、城内に天然温泉があったり(江戸時代)、葡萄酒醸造所が置かれたり(明治時代)、中央本線の開通による甲府駅の開業で城跡が分断されたり、と異色の変遷を遂げてきた城でもあります。
現在は「舞鶴城公園」として開放されており、天守台からは360度の景色が広がり、遠方には富士山を鑑賞することができます。天守台や外堀など築城当時に積まれた高くて美しい石垣は必見です。
別称:舞鶴城