武田信玄の父信虎が1519年に築城した武田氏の本拠で、信玄の四男勝頼が新府城に移るまでの約62年間、武田氏3代が居住し政務を執った館。
三方を山に囲まれ、北には緊急時の詰城となる要害山城、東西には天然の要塞である富士川・相川が流れ、その規模は東西284m、南北193mに及んだと推定されています。
その地の利から武田氏滅亡後も甲斐国の拠点として、織田・徳川・豊臣などの臣下により改修され再び利用されました。非公開ではありますが、天守台も残されています。
現在、跡地には武田信玄が主祭神とした武田神社が建てられており、かつての構造は大幅に改変されていますが、敷地は当時の水堀や空堀で囲まれ、土塁・石垣・虎口などの遺構から往時の面影を見ることができます。
別称:躑躅ヶ崎館