室町時代に畠山高国が居を構えて二本松と改称した地に、1414年二本松(二本松畠山)4代当主の満泰が二本松城を築城しました。
1586年に伊達氏の攻撃を受け、翌年に開城したことで長年続いた畠山氏は滅亡します。その後1868年の戊辰戦争で新政府軍と戦い落城するまで、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏と城主が代わり、1861年の廃藩置県により二本松藩も廃藩、廃城となりました。
現在は「霞ヶ城公園」として整備され、復元された箕輪門や櫓、城づくりの名手蒲生氏郷が築いた本丸下の石垣、加藤嘉明が構築した三ノ丸高石垣などが見どころです。秋には二本松菊人形展が毎年開催され、春には日本さくら名所100選にも選ばれた桜で賑わいます。
箕輪門へ向かう坂の横には、戊辰戦争で出陣した少年隊士と我が子の出陣服に家紋を縫付ける母の像「二本松少年隊群像」があり、かぞえ12歳から17歳までの62名の幼い子らが戦った悲しい歴史を伝えています。
別称:霞ヶ城