第44回 熊本城 <熊本県>

<天守閣>左:大天守3重6階地下1階、右:小天守2重4階地下1階

<闇り通路>本丸御殿大広間の地下通路

<連続桝形> 6回折れ曲がる通路と石垣
92 熊本城<熊本県>
1591年に加藤清正が築城を始め、室町時代から存在した千葉城と隈本城を取り囲んだ巨大な要塞として1607年に熊本城を完成させました。本丸には大天守と小天守があり、天守規模に相当する三重五階櫓が五基(宇土櫓は築城当時から現存)、それぞれが一つの城として機能するものでした。
熊本城は何度も曲がる通路や数々の門、幾重にも重なる石垣(桝形)などによる防御力の高い城で、石垣づくりを得意としていた加藤清正による反りのある高い石垣は「武者返し」と呼ばれ、清正の死後約260年を経て起きた西南戦争で、籠城者(政府軍)の3倍以上の兵力を率いる薩摩軍の攻撃に耐え、誰一人として城内への侵入を許さず、西郷隆盛が嘆いたというエピソードが伝わっています。
1632年には清正の子・加藤忠広から豊前小倉城主だった細川忠利が熊本城に入り、修繕、増築など長年にわたる開発で櫓の数は六十二基にまで拡張されました。
2016年の熊本地震により熊本城も甚大な被害を受け、現在も復旧工事が続いていますが、天守閣は2021年3月に完全復旧して最上階からは熊本市内や阿蘇の山並みを見渡すことができます。
別称:銀杏城
熊本県熊本市

<二様の石垣>右の古い石垣の奥に新しい石垣が築き足されている

