第45回 小谷城 <滋賀県>

大石垣:小谷城でもっとも大きな石垣で、現在は崩壊しているが、本丸を上回る大きさでした

落城寸前まで浅井長政が居住していた本丸跡

左の尾根に福寿丸・山崎丸などの砦、正面が大嶽山、右尾根に京極丸や本丸などの本城エリア
49 小谷城<滋賀県>
北近江を収めていた浅井(あざい)氏三代の居城で、1523年頃に初代の亮政によって築城されたとする説が有力です。北陸道と中山道の要所を抑え、山と河川、琵琶湖に守られた天然の要塞は、小谷山一帯の尾根など自然の地形を巧みに活用した堅固な山城で、日本五大山城の一つに数えられます。城内には本丸、山王丸、大嶽、福寿丸などの曲輪が配置され、防御力が高いのも特徴です。
浅井亮政の孫、三代目長政は織田信長と同盟を結び、その妹お市を正室に迎えましたが、1570年の朝倉義景討伐の際に信長から離反し、朝倉義景とともに信長と戦い(姉川の戦い)、勝利はしなかったものの落城は逃れました。
1573年、小谷城の戦いで羽柴秀吉の急襲により本丸は落ち、浅井長政は妻・お市、三人娘の茶々(後の淀殿・豊臣秀吉側室)、初(後の常高院・京極高次正室)、江(後の崇源院・徳川秀忠正室)を逃がしてこの地で自刃、浅井氏は滅亡しました。
その後、小谷城は秀吉に与えられましたが、琵琶湖に近い長浜城を築城し居城としたため廃城となり今日に至っています。
滋賀県長浜市

姉川の古戦場(右奥)と左奥は伊吹山

