湖東平野中心にある繖山(きぬがさやま)の南半分を中心に築かれ、南は中山道、西は琵琶湖に面した水陸交通の要衝の地に位置する、近江守護、佐々木六角氏の居城。
築城時期は明確ではなく、南北朝の争乱時期という記録もありますが遺構は見つかっておらず、応仁の乱で観音寺城の攻城戦が三度行われていることから、本格的な城郭としての整備はそれ以降と考えられています。
日本五大山城の一つで、繖山全体を城域にして要所に土塁・石塁を巡らし、多様の石垣や家臣の屋敷を配したことで規模としては日本屈指の大きさです。防御施設がないため、六角氏は観音寺城で戦うことはせず、一旦退き勢力の回復を待って再び城を奪取するという戦術を常にしていたと伝えられています。
別称:佐々木城