第48回 広島城 <広島県>

1951年の広島国体にあわせて二代目の木造仮設天守が作られており(国体終了後に解体)、現在の天守は三代目になる

原爆投下により焼失した中御門の櫓台の石垣は焼け、赤く変色してひび割れて残る

本丸中御門跡にある場内最大の「鏡石」
73 広島城<広島県>
中国地方の大大名、毛利氏の居城で、1589年豊臣政権五大老のひとり毛利輝元(毛利元就の孫)により築城を開始。
太田川河口の三角州に位置し、南に瀬戸内海、三方が川という天然の要害で、五重五階の大天守に三重三階の小天守を渡り廊下でつないだ連結式天守は、秀吉時代の大阪城を参考にしたともいわれています。
関ケ原の戦い後、毛利輝元に代わり賤ケ岳の七本槍のひとり福島正則が城主となり、堀を三重に巡らすなどの防備を固めるとともに、城下町の整備に力を入れ、広大な城を完成させました。
1619年には、浅野長晟が和歌山藩から転封し、明治時代に至るまで12代約250年間にわたり浅井氏の居城となっています。
1945年の原爆投下により倒壊した天守は、1958年の「広島復興大博覧会」に合わせて2度目の復元をされましたが、老朽化と耐震性の問題により2026年3月22日に閉城となりました。
現在解体の予定はなく、復元等を検討中ですが(2026年4月現在)、概算費用は約195億円、工期は9年以上を見込み、最短でも2049年度の完成を目指す長期プロジェクトとして議論されています。
別称:鯉城
広島県広島市

手前左から復元された、二の丸表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓

