第53回 湯築城 <愛媛県>

外側土塁の内側にある道路と排水溝

1894年まで道後温泉で使用されていた湯釜で、湯釜に書かれた「南無阿弥陀仏」は河野通有の依頼で一遍上人(河野道信の孫)が刻んだものと言われている
80 湯築城<愛媛県>
風早郡河野郷の豪族河野氏が築いた城で、14世紀前半の南北朝期から16世紀末戦国期迄の約250年間にわたり居城としていました。
源平合戦(1180~1185年)で源氏方として河野道清と子の通信が功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となったことで伊与国の統率権を得て、その後承久の乱(1221年)で没落したものの、通信のひ孫にあたる通有の活躍により一族の力が復活し、1335年前後に河野郷から道後へ本拠を移しました。
湯築城は天守のない平山城で、築城当時は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半には周囲に外堀が築かれ、堀と土塁をそれぞれ二重に巡らせたと推測されています。
外堀の内側には排水溝や道路が見られ、建物の礎石、土塀などの遺構、身分の格式のよってわけられた居住区があるなど、当初の生活様式もわかり、城郭の堀や土塁などの縄張りも保存状態が良好に遺されています。
<別称:湯月城>
愛媛県松山市

人々の手で造られた大規模な外堀土塁を断ち割ったもので、湯築城跡の中でも最も代表的な遺構

