特別編 岡崎城の晴海堀探索と石垣

岡崎城は徳川家康の生誕地としても知られていますが、1455年に西郷頼嗣が築城したのが始まりで、その後は徳川家康の祖父・松平清康が城郭を改修、拡張し、「桶狭間の戦い」後から徳川家康が関東へ移されるまで城主でした。

その後は豊臣秀吉の家臣の田中吉政が城と城下町を整備して織豊系城郭(織田信長・豊臣秀吉の家臣団が築いた城郭)へと発展させ、関ケ原の戦い後は徳川家譜代大名の本多家、松平家、水野家が城主となり幕末まで存続しています。

城内で最も古い段階の石垣と考えられている、本丸天守台の石垣

岡崎城には今も多時期に築かれた多数の石垣が現存しており、城内で最も古い石垣と考えられている「本丸天守台石垣(南面)」や、城南側の菅生川沿いに切れ目なく直線で続く、全長400m高さ5.4mの国内最長の「菅生川端石垣」などがあります。

特に、江戸時代前期(約420年前)に造られた「持仏堂曲輪の腰巻石垣」は、現在まで改修されることなく残っている石垣で、その「持仏堂曲輪腰巻石垣」の直角の隅角部と、曲線状の「本丸腰巻石垣」が向き合い、その奥に廊下橋の石垣が正面に見える珍しい構図は、江戸時代後期の絵図にも描かれています。

 

それら石垣の中で、今も往時の姿を残す「清海堀」に降りて見学ができる機会を得たので、昨年11月に参加しました。

普段は通れない「廊下橋」横に設置された階段から降りていきます

晴海堀から天守閣を見上げる。右には「廊下橋」と降りてきた特設階段

「清海堀」は岡崎城を最初に築いた西郷頼嗣(西郷弾正左衛門晴海入道)からついた名称と言われており、城の北側の防衛のために築かれ、そのほかの役割として二の丸から本丸へのルートを作る堀でもあります

晴海堀から天守を見上げる。 令和元年、ここに本丸腰巻石垣が初めて検出された

高さ約10mの緩やかなカーブの石垣に沿って進むと東端の本丸大手門西下石垣との角にたどり着く

「廊下橋」から見下ろす、「持仏堂曲輪腰巻石垣」(右)と「本丸腰巻石垣」(左)

普段は渡れない「廊下橋」の正面、北側天守台にある鏡石

「晴海堀」を見下ろす。 右側カーブが美しい。

普段は見下ろしていた「晴海堀」に降りて堀の深さや大きさを知り、石垣を見上げてその高さを実感し、現在の東端にある修築石垣を説明板写真と何度も見比べてみたり、実感することはとても貴重な体験で楽しい時間でした。