第18回 山中城 <静岡県>

天守跡から見る本丸跡 左(南)には兵糧庫や爆薬庫があり、正面には城内最大の曲輪の二の丸がある

箱井戸跡(城兵の飲料水。隣にある田尻の池は、洗い場や馬の水飲み場等として利用していた)

40 山中城<静岡県>

1560年、小田原北条氏が西方防備の拠点として標高580mの尾根上に築城した、東西500m、南北1kmに及ぶ大規模な山城。

自然の地形を巧みに取り入れた「障子堀」や「畝堀」は、小田原北条氏の特徴的な造りとなっています。

現在は型崩れ防止のために芝生が張られていますが、当時は赤土が露出しており、傾斜のきつい堀は滑りやすく、動きも制限されるため、特に防御に優れていました。

1590年には、関係が悪化していた豊臣方の約7万弱の軍勢による総攻撃を受け、北条方は4千という戦力差で応戦しますが、わずか半日で落城してしまいます。

戦後廃城したものの、1973年から復元工事が開始され、400年前の石を使用しない土だけからなる山城の遺構は大変珍しいものです。

国の史跡に指定され、整備も行き届いており、季節の花々とともに晴れた日には富士山も望むことができます。

 静岡県三島市山中新田字下ノ沢

「障子堀(しょうじぼり)」 堀底の土を障子の桟状に削った堀。「畝掘(うねぼり)」は単列。