1586年に徳川家康が築城し、1590年からは一旦、江戸に居城を移して天下統一を果たした後、(1605年将軍職を2代秀忠に譲ると)1607年に駿府を「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻り、家康がその生涯を終えた地としても有名な城。
完成した天守は5重(6重)7階といわれており、天守台は南北約69m、東西約63m、天守台の一辺は江戸城の1.5倍と当時最大の規模を誇りました。
1635年に櫓や天守(2度目)が焼失しましたが、天守以外の建物は再建。その後も明治時代に廃城になるまで、焼失や天災などで被災した際も天守台や他の建物などは再建されたものの、天守は今日まで再建されていません。
現在では二ノ丸堀より内側が駿府城公園として開放されており、2020年3月からは天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に発掘調査が行われています。
別称:府中城・静岡城